
(1)ベトナム共産党第6回大会(1986年)で、「ドイモイ政策」を採択
※「ドイモイ政策」とは、
第6回ベトナム共産党大会(1986年12月)で(ア)社会主義路線の見直し、(イ)産業政策の見直し、(ウ)市場経済の導入、(エ)国際協力への参加を進める、という4つのスローガンが決定された。この4つのスローガンは従来の概念・思考・行動と全く異なる新しい変化を決議したものだったため、このスローガンを表す言葉として「ドイモイ」という言葉が作られた。
「ドイモイ」は日本語では「刷新」と訳される。「ドイモイ」をベトナム語で書くと「DoiMoi」だが、ドイ(Doi)は変化という意味であり、モイ(Moi)は新しいという意味だ。
「ドイモイ政策」の特徴は、従来型の社会主義(マルクス・レーニン主義)を捨て「新しい国づくりの変化の模索」を開始したことにある。そして「ドイモイ」政策の目玉とも言えるのが「計画経済」から「市場経済」への転換だ。これによって、国営・公営以外の私企業の存在を認めるだけでなく、私有財産についても一部認めることになった。これは、国民の自助努力を大いに喚起して経済活性化の最大の原動力となっている。
「ドイモイ」の目標は、市場経済に則って国家管理のもとで人民を豊かにし文化的で強い国家を建設することにある。
具体的政策としては、(ア)企業の自主的裁量権の拡大、(イ)農業請負制の導入、(ウ)海外資本の投資導入など大胆な対外開放政策、そして共産党党内の民主化推進などだ。
(2)1989年頃から「ドイモイ政策」の成果が上がり始める。
特に、「ドイモイ政策」が本格化した1991年以降、投資ブームにより巨額の海外直接投資(FDI)が流入した。
(3)海外直接投資(FDI)が牽引車となって、1990年代半ばには年率8~9%台の高い経済成長率を達成。
その後、好況は1997年の「アジア通貨危機」まで続く。
☆「アジア通貨危機」当時のベトナムは金融資本市場を対外開放していなかったため、「アジア通貨危機」に際し、タイやインドネシアとは異なり為替相場急落による経済への直接的なダメージを免れることができた。しかし、通貨危機によって、アジア諸国からベトナムへの海外直接投資(FDI)は急激に減少した。当時、成長の牽引車だった海外直接投資(FDI)が急減したためベトナム経済は失速し、経済成長率は1999年には4%台まで下落した。
(4)2000年以降再び、海外直接投資が流入し始め、拡大基調に入る。
一人当たりの名目GDPは1999年~2007年の9年間で2倍以上に増加した。また、GDP成長率で見ると、2004年は7.9%だったものの、2005年は8.4%、2006年は8.2%、2007年は8.5%と3年連続で8%台の経済成長率を記録。ベトナムは高度成長期を迎える。
(5)2007年1月にはWTO(世界貿易機関)に正式加盟。150番目の加盟国へ。
2007年の海外直接投資(FDI)は前年比67%増となり、初めて200億ドルを突破。資金は投資先を求めて高値波乱の株式市場だけではなく、不動産市場にも入り、ホーチミン市都市部の不動産価格は2007年の一年間で5倍になる物件も多くみられる土地バブルの状況となった。しかし、2007年秋からは米国のサブプライムローン問題に端を発する世界的な金融不安の影響で歯車は逆回転を始める。
(6)2008年、ベトナムのバブル経済が崩壊。
※2008年金融危機への対策(機動的な金融危機対応)
(6-1)積極的な危機対応策(2009年4月まで)
☆需要拡大パッケージ(金利支援)
☆中小企業の所得税減少対策
☆付加価値税減少対策
☆為替レートの変動枠拡大
(6-2)景気刺激策(2009年5月以降)
☆金利補助(利子補給)政策
☆公共投資の前倒し、減税政策出所:外務省、在ベトナム日本国大使館
(7)ベトナムは2009年後半に金融危機からいち早く回復。
マレーシアやタイなど先進国への輸出依存度が高い国々が金融危機(先進国景気の後退)による輸出減で深刻なダメージを受けたのに対して、ベトナムは堅調な内需と政府の機動的な景気対策(公共投資・減税など)が奏功し、2009年のGDP成長率は減速しながらもプラス成長を維持した。ベトナム政府は2010年の目標経済成長率を6.5%としている。