国名 ベトナム社会主義共和国
面積 32万9241平方キロメートル(日本の88%)
人口 約8579万人(2009年4月1日付)
首都 ハノイ市(644万8837人)☆商都はホーチミン市(712万3000人)
主要民族 キン族(約86%)
公用語 ベトナム語(1954年までは漢字使用)
宗教 仏教(約80%)、他にカトリック、カオダイ教、オアハオ教など
政体 社会主義共和国
元首 グエン・ミン・チェット大統領
議会制度 一院制・一党(ベトナム共産党)  
最高意思決定機関 ベトナム共産党政治局
経済体制 ドイモイ政策(1986年)以降は市場経済に転換
経済改革のスピード 小幅な改革を少しづつ進める(斬進主義)
通貨 ベトナムドン(VND)
一人当たりGDP(名目) 1,036米ドル(日本は32,586米ドル、2009年推計)
一人当たりGDP(購買力平価) 2,900米ドル(日本は32,600米ドル、2009年推計)
2010年予想経済成長率 6.5%
  出所:ジェトロ、IMF、日本外務省




(1)ベトナム共産党第6回大会(1986年)で、「ドイモイ政策」を採択

 

※「ドイモイ政策」とは、

 

第6回ベトナム共産党大会(1986年12月)で(ア)社会主義路線の見直し、(イ)産業政策の見直し、(ウ)市場経済の導入、(エ)国際協力への参加を進める、という4つのスローガンが決定された。この4つのスローガンは従来の概念・思考・行動と全く異なる新しい変化を決議したものだったため、このスローガンを表す言葉として「ドイモイ」という言葉が作られた。

 

「ドイモイ」は日本語では「刷新」と訳される。「ドイモイ」をベトナム語で書くと「DoiMoi」だが、ドイ(Doi)は変化という意味であり、モイ(Moi)は新しいという意味だ。

 

「ドイモイ政策」の特徴は、従来型の社会主義(マルクス・レーニン主義)を捨て「新しい国づくりの変化の模索」を開始したことにある。そして「ドイモイ」政策の目玉とも言えるのが「計画経済」から「市場経済」への転換だ。これによって、国営・公営以外の私企業の存在を認めるだけでなく、私有財産についても一部認めることになった。これは、国民の自助努力を大いに喚起して経済活性化の最大の原動力となっている。 

 

「ドイモイ」の目標は、市場経済に則って国家管理のもとで人民を豊かにし文化的で強い国家を建設することにある。
具体的政策としては、(ア)企業の自主的裁量権の拡大、(イ)農業請負制の導入、(ウ)海外資本の投資導入など大胆な対外開放政策、そして共産党党内の民主化推進などだ。


(2)1989年頃から「ドイモイ政策」の成果が上がり始める。

特に、「ドイモイ政策」が本格化した1991年以降、投資ブームにより巨額の海外直接投資(FDI)が流入した。

 

(3)海外直接投資(FDI)が牽引車となって、1990年代半ばには年率8~9%台の高い経済成長率を達成。

その後、好況は1997年の「アジア通貨危機」まで続く。

 

☆「アジア通貨危機」当時のベトナムは金融資本市場を対外開放していなかったため、「アジア通貨危機」に際し、タイやインドネシアとは異なり為替相場急落による経済への直接的なダメージを免れることができた。しかし、通貨危機によって、アジア諸国からベトナムへの海外直接投資(FDI)は急激に減少した。当時、成長の牽引車だった海外直接投資(FDI)が急減したためベトナム経済は失速し、経済成長率は1999年には4%台まで下落した。

 

(4)2000年以降再び、海外直接投資が流入し始め、拡大基調に入る。

一人当たりの名目GDPは1999年~2007年の9年間で2倍以上に増加した。また、GDP成長率で見ると、2004年は7.9%だったものの、2005年は8.4%、2006年は8.2%、2007年は8.5%と3年連続で8%台の経済成長率を記録。ベトナムは高度成長期を迎える。

 

(5)2007年1月にはWTO(世界貿易機関)に正式加盟。150番目の加盟国へ。

2007年の海外直接投資(FDI)は前年比67%増となり、初めて200億ドルを突破。資金は投資先を求めて高値波乱の株式市場だけではなく、不動産市場にも入り、ホーチミン市都市部の不動産価格は2007年の一年間で5倍になる物件も多くみられる土地バブルの状況となった。しかし、2007年秋からは米国のサブプライムローン問題に端を発する世界的な金融不安の影響で歯車は逆回転を始める。


(6)2008年、ベトナムのバブル経済が崩壊。

 

※2008年金融危機への対策(機動的な金融危機対応)

         (6-1)積極的な危機対応策2009年4月まで)
               ☆需要拡大パッケージ(金利支援)
               ☆中小企業の所得税減少対策
               ☆付加価値税減少対策
               ☆為替レートの変動枠拡大

         (6-2)景気刺激策(2009年5月以降)
               ☆金利補助(利子補給)政策
               ☆公共投資の前倒し、減税政策出所:外務省、在ベトナム日本国大使館

 

 

(7)ベトナムは2009年後半に金融危機からいち早く回復。

 

マレーシアやタイなど先進国への輸出依存度が高い国々が金融危機(先進国景気の後退)による輸出減で深刻なダメージを受けたのに対して、ベトナムは堅調な内需と政府の機動的な景気対策(公共投資・減税など)が奏功し、2009年のGDP成長率は減速しながらもプラス成長を維持した。ベトナム政府は2010年の目標経済成長率を6.5%としている。

 

 

 (仏領コーチシナ時代)


19世紀以降、東南アジアはヨーロッパ列強による侵略を受け植民地化が進行した。ベトナムではフランスが19世紀後半に阮王朝の内部混乱に乗じてベトナムを保護国化、仏領コーチシナ(インドシナ)として植民地支配を行う。それ以降、ベトナムは仏領コーチシナ総督府の支配下で重税、賦役、塩・アルコール・アヘンの専売等の搾取を受けることになった。
 
(日本の仏印進駐)


1939年にヨーロッパで第2次世界大戦が勃発すると、翌1940年にはドイツと同盟関係にあった日本がフランス領コーチシナ(現在のベトナム)に進駐(仏印進駐)する。
 
(第2次世界大戦終了、そしてベトナム民主共和国成立と第1次インドシナ戦争)


1945年8月15日、日本の無条件降伏で第2次世界大戦が終了すると、ハノイでホー・チ・ミンを首班とするベトナム民主共和国が独立を宣言した。1946年、独立を目指すベトナムは植民地権益を死守したいフランスと戦争状態(第1次インドシナ戦争)に陥る。フランスは次第に追い詰められ、1954年3月から5月にかけてのディエンビエンフーの戦いに破れるとフランスの敗北は明確となった。

ディエンビエンフーの戦いには多くの残留日本兵も自発的にベトナム側(植民地側)に参加したと云われる。結局、長期間、ベトナムを植民地支配したフランスはジュネーブ停戦協定(1954年7月)を締結。ベトナムからの全面撤退を決定することになる。
 
(ベトナム戦争)


しかし、フランス側を強く支持してベトナムでの権益の分け前を伺っていた米国はジュネーブ停戦協定には参加しなかった。そしてベトナムでのフランスの立場を受け継ぐ形になった米国は、米国傀儡政権(南ベトナム)の維持を企図したため、南ベトナムと北ベトナムとが再び戦争状態(第2次インドシナ戦争)に陥る。その後、米国の支援を受けた南ベトナムと旧ソ連邦の支援を受けた北ベトナムは長期に渡って「独立戦争」と「米ソ代理戦争」の2つの性格を併せ持つ歴史的な消耗戦「ベトナム戦争」に突入する。
 
(ベトナム戦争後のベトナム)


ベトナム戦争は1975年のサイゴン陥落で北ベトナムの勝利により終結したが、ベトナムに平和は簡単には訪れなかった。1970年代後半にはベトナムはカンボジア内戦に介入してポル・ポト政権を崩壊(カンボジア・ベトナム戦争)させ、その後、1979年には中国と旧ソ連邦の代理戦争とも云い得る中越戦争が勃発するなど、ベトナムは度重なる戦争の惨禍に見舞われた。


ベトナムの現代史は不幸な戦争の歴史であり、米・中・旧ソ連邦など超大国の外交戦略に巻き込まれた周辺国の歴史でもある。しかし、同時に外敵を不屈の精神と粘りで克服した侵略への抵抗と独立の歴史とも云えるだろう。
 

 
1883年  フランスの保護国となる
1945年  ベトナム民主共和国(ホーチミン首班)成立
1949年  ベトナム国(フランス傀儡政権)成立
1954年  ジュネーブ停戦協定(フランス軍撤退)、南北分割
1955年  南部でベトナム共和国(米国傀儡政権)成立
1965年  アメリカ軍直接介入(北爆)開始→ベトナム戦争へ
1973年  パリ和平協定調印
1975年  ベトナム共和国政府無条件降伏(サイゴン陥落)
1976年  南北統一(ベトナム社会主義共和国成立)
1986年  ドイモイ政策採択(改革・開放路線へ)
1995年  ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟
2001年  米国が最恵国待遇の付与を決定
2007年  WTO(世界貿易機関)加盟
2008年  国連安全保障理事会の「非常任理事国」就任

 

Copyright 2010 Japan Securities Incorporated (JSI). All rights reserved.